月刊『日本橋』2014年9月号 No.425

日本の奇術 手妻

ひとことでマジックと括るなかれ。
日本には、西洋マジックとは源流が異なる、日本人が独自に発展・完成させてきた“手妻”という奇術が伝わっているのです。そのルーツは古代にまでさかのぼり、呪術・宗教の一部でもありましたが、江戸時代には“娯楽”として小屋掛けでの興行が人気を博しました。
その中心地の一つは、歌舞伎、人形浄瑠璃などの小屋が集った日本橋人形町——。
現在は、手妻師・藤山新太郎氏に受け継がれている日本独自の手妻の世界を、ご紹介しましょう。
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◆江戸の手妻小屋にご招待
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天保13年(1842)以降、芝居まちの日本橋人形町界隈から賑わいが移った浅草での手妻小屋の様子。弘化4年(1847)3月18日の浅草寺(金龍山)の開帳にあわせて、同3月に人気手妻師・柳川豊後大掾と二代目柳川一蝶斎が浅草寺境内で興行。この絵は前宣伝用に売れっ子浮世絵師の歌川国芳が描いた。この時の小屋は、記録によると葭簀で囲った木造板葺きで、大きさは6間×14間(約11m×25m)ほど。小屋の中には、当日の演目が細かく描かれていて楽しい。

◆大人も子どもも魅了する演目は……
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弘化4年3月の興行は大当たりし、4月までのロングラン公演となったようだ。それに合わせ、国芳の弟子・芳豊が演目を描いた。初代・柳川一蝶斎こと柳川豊後大掾が見せるのは、十八番の〈うかれの蝶〉という手妻と、浦島太郎に題材をとった幻術。亀ではなく、大蛸に乗って太郎が登場する。他にも、煮え立つ釜から大狸が飛び出す技、花のふぶきの百本傘など盛りだくさんの内容だった。蝶が描かれた着物を纏った柳川豊後大掾はこの時、60歳に近く髪は薄いが、二枚目だったという。

◆両国橋での興行
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(右)柳川一蝶斎と人気を競った手妻師・竹沢藤次の十八番の曲独楽と水芸をあわせた演目。噴き出す水から飛び出すのは、蛸や河豚、貝の形をした独楽。浦島太郎に扮した竹沢藤次の着物の青海波文様は、よく見ると“竹”になっている。

(左) ■江戸の手妻の舞台拵え
手妻は、明治に入り西洋マジックが流行ると急速に衰退したが、昭和6年から専門の手妻師として活躍した一徳斎美蝶の舞台は、江戸のままの手妻の様式を残していた。舞台に毛氈を敷き、正面に台箱(座り机)を置いて手元明かりの蝋燭を灯す。下手に太鼓を叩く才蔵(弟の蝶二)、上手に三味線をひく下座(女房の藤川力代)が揃い、太夫の美蝶は、黒紋付きに袴姿で台箱の後ろに座り、座ったまま手妻を演じた。終いには傘を出して歌舞伎とも舞踊とも異なる手妻独特の型の見得を切った。昭和30年代には、こうした型を残した手妻師は、美蝶ただ一人だったそうだ。

■特集はまだまだ続きます。本誌を手に取ってご覧ください

【今月の表紙】
一勇斎国芳 勇魁三十六合戦 二 大判
嘉永5〜6年(1852〜53)

【9月号連載】逸品
四川飯店 日本橋〜Chen Kenichi's China~
担々麺

本場中国四川省で担々麺といえば、“汁なし”が基本。もともとは天秤棒を担いで売り歩いた料理であり、スープを大量に持ち歩くのは困難だったことから、汁なしが原型なのだ。その担々麺にスープを加えてラーメン風にアレンジし、昭和30年代に日本に広めた人物こそ四川飯店の創業者・陳建民さん。ほかにも干焼蝦仁(カンシャオシャーレン)をヒントにトマトケチャップを使ったエビのチリソース、キャベツ入りの回鍋肉など、日本人の味覚に合わせた料理を考案し、日本での中華料理全般の普及に大きく貢献した。
さて、写真は四川飯店日本橋の担々麺。建民さんの味を受け継ぐ、スープ入りの“元祖日本の担々麺”である。赤く辛そうなスープに、炒めたひき肉と青菜が食欲をそそる……(続きは本誌で!)

【四川飯店 日本橋〜Chen Kenichi’s China~】
室町2-2-1コレド室町2F 電話 03-6225-2233
担々麺/1050円

【9月号連載】人物語 坂田甚内さん

大胆不敵な陶芸家。日本橋で個展を開催

 「小学校五年生の頃の夢は“泥棒”。神出鬼没のアルセーヌ・ルパンのような怪盗になりたかった」という言葉だけでも、坂田甚内さんの個性的な人柄が伝わるだろう。怪盗に憧れた少年は10年後、栃木県益子町で陶芸家としての道を歩き始める——。波模様をあしらった黒陶波状文をはじめラメを取り入れた陶器など繊細かつ大胆不敵な作品づくりを行う坂田さん。1943年東京都中野区生まれで、発想の奇天烈さは幼少期から発現していた。「親父は友禅染の模様師、仕事場の膠の匂いが好きでね……(続きは本誌で!)

 

★坂田甚内「私の中のビッグバン〜出会いの妙・縄文の記憶」展
会期/9月9日(火)〜21日(日)
時間/11時〜18時30分(会期中無休) 会場/椿近代画廊(室町1-12-15・B1F ☎3275-0861)

【不定期連載】日本橋の若社長⑦ 神茂 代表取締役社長 井上卓さん

——井上さんの子ども時代を教えてください。
元禄元年(1688)創業のかまぼこ屋〈神茂〉で生まれましたので、店舗と工場を兼ねた生家では家族とともに常に大勢の職人さんや店員さんに囲まれ、毎日賑やかな幼少期を過ごしました。繁忙期の年末に預けられた住宅街にある親戚の家では、静かすぎて馴染めなかったほどです。幼い頃は、室町一丁目あたりにも魚屋や八百屋、共同ビルの裏には銭湯があったりと、今よりも下町風情が残っていました。大学生の頃は、海外で雑貨や自動車を購入して日本に持ち帰っては販売したりと、商魂たくましい子どもでしたね(笑)。

——社長になった経緯は?
兄がいたので……(続きは本誌で!)