月刊『日本橋』 2016年3月号 No.443

特集  日本橋映画探訪

今からちょうど120年前の1896年、エジソンが発明した「キネトスコープ」という装置によって、日本初の映像が神戸で公開された。箱の穴から中を覗き込んで1、2分の短い映像を観るだけのものが、翌年にはリュミエール兄弟が発明した映写機「シネマトグラフ」により、大きなスクリーンで映像を楽しむ時代がいよいよ日本にも訪れた。1890年後半は明治維新から30年近くの時が経ち、近代国家として目覚ましい発展を遂げていた時代。新しい物好きの日本人はいち早く西洋の映画技術を取り入れ、今日に至るまで多くの名作を生み出してきた。今回は、日本橋にまつわる作品を通して映画の歴史に触れてみたい。

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●特集はまだまだ続きます。ぜひ本誌を手に取ってご覧ください!

【今月の表紙】

唐土二十四孝 江革 大判 嘉永6年(1853) 泉市版

 

【3月号連載】人物語 第264回 三遊亭鳳楽さん

※3月号「人物語 第264回」に関しまして、印刷工程でミスが生じました。本文に文字の抜けがございます。つきましては、今回に限りまして、正しいページを全文掲載させていただきます。読者の皆様には大変ご迷惑をおかけいたします。 

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「お笑いを申し上げます」。人前で話すことが苦手な落語好きの小学生が、座布団を教壇に敷いただけの即興の高座で勇気を振り絞った一席。同級生からの拍手喝采を浴びた瞬間、一人の噺家が誕生した。のちの三遊亭鳳楽さんである。
昭和22年(1947)、埼玉県川越市生まれ。小学一年生の頃、浪曲好きの父親に連れられて行った寄席で落語と出会った。笑いとともに知識を与えてくれる落語が好きで、中学生の頃には落語家になることを心に決めていた。
18歳で故五代目三遊亭円楽さんに入門。内弟子をとらない師匠のもと、月7000円の長屋四畳半一間からのスタートだったが、「いろんな人の噺を毎日聞ける。こんないいことはないだろう」と嬉しくてたまらなかった。「師匠に似すぎるのはよくない」という円楽さんの意向で、故七代目立川談志さんなど多くの先輩に稽古をつけてもらったことは、落語家としての基盤になっている。「いいところをとって、自分の考えを入れて、かき混ぜて、組み立てていくんです。そうすると誰にもない個性が生まれてくる」。
昭和53年(1978)、鳳楽さんの大師匠であり昭和の名人、六代目三遊亭圓生さんとその一門は落語協会を抜け、三遊協会を設立した。

(続きは3月号人物語PDFまたは3月号人物語JPEGから全文お読みいただけます)

【3月号連載】逸品 繁乃鮨 特選ちらし

一足先に春を愛でた気分になる繁乃鮨の彩り華やかな特選ちらし(1700円)。一つ一つの具材がきらりと鮮度高く光り、思わず心奪われ見とれてしまう。鮮やかなサクラ色の中トロ、深みのある赤身、もっちりとしたホタテなど、旨味と甘味を含んだ魅力的な素材たち。赤酢を使用したまろやかな酢飯と口の中で重なり合えば、ほのかな甘味を残して溶けていく。子持ち昆布のプチプチとした食感も楽しい。大葉の緑が透き通って見えるほど透明度が高い白魚と、純白で肉厚な身にねっとりした甘みを持つ高級なスミイカはどちらも旬を迎え、是非とも今味わっておきたい素材だ。……(続きは本誌で!)

【3月号連載】シンボーの日々是好日 第193回 南伸坊

「南伸坊の『笑う茶碗』にスピーチの定番〝3つの袋〟の起源はヨネスケだって書いてあるみたいだけど、ウソらしいね。本にそうやって嘘書いて出版していいのかね? 不確定情報をあたかも事実みたいに書いてある本なんて絶対に買いたくない」

と、いう文がツイッターにのっていた。いくつくらいの人なのか分からないけど、たぶん若い人だろう。

結婚式のスピーチで「3つの袋」の話をする人っていうのは、私たちがコドモの頃にはさんざんいた。いつからはじまったか不確定だけど、まァ森繁久彌が社長の役をやってた頃くらいには古い、大昔のことだと思う。

落語家のヨネスケさんは、ぼくと同い年だから、この何度でも聞いたような話「スピーチとスカートは、短いほどいいと言いますが……」みたいな常套句をそのまま冗談にして、結婚式の営業なんかで使ってたらしい、という話を、むかしこの『日本橋』に書いたんです。

『笑う茶碗』というのは、この『日本橋』に書いた話を、まとめて単行本にしたので、最初に出たのは二〇〇四年です。

……(続きは本誌で!)